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2024/05/15 [PR]
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2008/05/03 限界その2 からフィリピン行きまで
ラーメン店を切り盛りしながら、私は過酷な生存競争に不安や嫌気を感じて行きました また、当時出資してくれている他業種の社長とも、うまくいかなくなってきました。 「どんどん人材を育ててどんどん出店しよ
2008/05/02 日本での限界 その1
私は自分で言うのも何ですが、独立心が非常に強いです。 これは、マイナス面も大いにあると今さらながら感じています。 人に雇われるのは嫌いだ、小さくても一国一城の主、人生は自分で作るなどと、自分を
2008/04/29 フィリピンでおいしいラーメン屋さんになりたい
私は、1997年に大阪を離れて、かばん一つ持って、横浜にラーメン修行に向かいました。 当時まったくの素人で、誰の紹介も無く、おいしいと思った店で働こう・・ それだけの無謀とも思える決心をしたのは、

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限界その2 からフィリピン行きまで

ラーメン店を切り盛りしながら、私は過酷な生存競争に不安や嫌気を感じて行きました
また、当時出資してくれている他業種の社長とも、うまくいかなくなってきました。
「どんどん人材を育ててどんどん出店しようよ」
イケイケで行きたいのはわかりますが、そんなに簡単には職人は育たないのです。

都心の人件費は高騰し、時給1200円で募集して、1週間後にやっと、
日本語が苦手な台湾人のおばさんが来ました。 
仕事は覚えないし、すぐ他の人に変えたかったのですが、忙しい時間帯は文字通り、猫の手も借りたいくらいでしたので、洗い場専属で頑張ってもらいました。

そのころ、駐車違反を厳しく取り締まる法改正がありました。
特に都心は重点地区と言う名目で、路上に監視員という腕章をつけた
おっさんたちが、ぞろぞろとデジカメをぶら下げて歩いています。

5分の駐車で切符切られますから、車の人は路上駐車でラーメン食べるなんて自殺行為になりました。
しかも、都心の飲食店やコンビニなどはお客さんの駐車スペースも無く、
コインパーキングは絶対数が足りないので常に満車で止められません。

ひどいもので、納品に来る仕入れ業者まで、私と話す時間も無くなり、
猛ダッシュで車に戻っていきます。

多くの都心のラーメン店と同じく私のいた店は、駐車場がありません。 
そういう場所にばかり出店してきましたのでさすがに堪えました。
近所には、麺屋武蔵・大勝軒・二郎・竈と有名店が多数ありますが、どのお店も駐車場はありません。

路上駐車が良いとは決して思いませんが、運転の仕事をして外食の方は
まず、そういうお店には行けなくなります。  
もちろん、広い駐車場のあるところで食べるようになって行きました。
さすがに、売り上げは落ちました。

そのころ、妻の実家であるフィリピンで商売をしたいと考える時間が増えてきました。
日増しに思いは大きくなり、現地調査をして考えてみようと決意して
10何回目のフィリピンに向かいました。

今までは、ほんとに遊びのみの観光ですが、そのときは遊びもせず、
真面目にあちこちを回り、先輩在留者の方々に出会い、
大きな未知の可能性を感じて帰国しました。

しあわせがそこにあるように思えました。 でもいくらあれば、フィリピンでお店が持てるのか?
その頃はまだ、何もわからなかったです。 
幸せのトンボが舌を出して笑ってるようでした。

大阪時代に好きだった長渕のとんぼですが、妻がよく替え歌で歌っていました。
空耳アワーに出したいくらいです。

あ~あ しあわせの とんぼが~ ほら~ 舌を出して~ ワラン ペラ  (名作だと今でも思います)

とにかく、それからしばらくして、台風が上陸するなんて知らずに、有り金全部持って、店の金も退職金代わりに持って、片道切符のつもりで、マニラに向かいました。



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日本での限界 その1

私は自分で言うのも何ですが、独立心が非常に強いです。
これは、マイナス面も大いにあると今さらながら感じています。

人に雇われるのは嫌いだ、小さくても一国一城の主、人生は自分で作るなどと、自分を肯定してきましたが、振り返ると正直、わがままや、身勝手で、失敗を繰り返した、甘かった自分が見えてきます。

42歳の今、サラリーマンに戻ろうにも、私を受け入れて重役の椅子に座らせてくれる会社も無い(当然)
ので、また起業して新たな事業を立ち上げると言う目標に向かって毎日を生きております。

自営を経験すると、もう人の下で働けなくなってしまう。 みたいな話しは随分多くの方に聞きました。
でも、身内はフィリピンでの起業には否定的で、何か日本でできる事を考えてみろと、兄貴にも言われます。

そこで、日本でできる事を考えてみました。

普通に就職しても、私がコネ無しで出世できるだろうか? まず、無理。
ネットワークビジネスで、体に良いものを人に勧めて高収入を・・・・私にはどうかな? 大勢の人の前で商品説明やスピーチなど・・・やめておこう
じゃあ、やっぱり飲食店だな。 ラーメンだな、やっぱり、どう考えても・・

現在、ラーメンは、ブームも落ち着き、一般人も評論家並みの知識を持つようになってしまった。
品川で店を出していた8年前はラーメンブームでした。
学生さんから、じいさんばあさんまで、いろんな質問があったなあ。
自分がいかにラーメン好きで、鋭い舌を持っているのか説明したがるお客が多かったです。

「どこで修行したの?」 「この麺とスープは合ってると思う?」「まあまあだね。もうちょいがんばってね。」
「○○屋より、おいしいと思う?」 「70点だね」


もちろん、知らない人から突然話しかけられるので最初は怒ったり、無視したり平常心でいられない事が多かったです。 未熟で駆け出しの頃は、けっこう喧嘩もしました。

新宿で店を出した4年前くらいから、感じ始めたことがありました。
私が出店したのは激戦区といわれる地域です。
ラーメン店が次々と開店し、最初から行列を作って繁盛しています。
ところが、数ヶ月もしないうちに、その行列は消えて、閑散とした店になっています。

ウチはそんな事にはならずに、割と安定していましたが、他人事とは思えない同業他店の盛衰が気になっていました。
閑散とした他店に食べに行くと、結構おいしかったりします。
繁華街に出店する場合は、おしゃれで、お金を掛けて作った店が多く、宣伝等で最初に大量に集客しますが
私でも、場所が変わると勝手が違い、開店初日から行列を作られると、なかなかいい仕事が出来ません。

でも、大半のお客さんは、そんな言い訳よりも、うまいか、うまくないか、という判断なので、段取りの悪い店の評判は総じて低評価になり、その後客足は遠のき、落ち着いて良い仕事が出来る頃には、経営が苦しくなってきています。

クチコミも、ネットの普及とともに物凄いスピードで全国に広まるようになりました。
当然、悪口も広がり、自称ラーメン評論家のインタビューも何度も受けました。

経験の浅いマニアの多くは、いかに自分が無名店まで食べつくして、その中で有望な新店を発掘して、発表するかが勝負の世界ですので(ナンのコッチャ??)、味以外のことまで、鋭く観察される事もあります。
私が、従業員用に店に無い料理を作って、隅っこで食べさせても 「新メニューの研究ですか?」 「裏メニューですね」 とか、うるさかったりします。
私の弟は大変、良い人間ですが、短気なところがあり、当時はそんなマニアに冷たい態度を取っては、ネットに悪口書かれていました。

その頃から少しずつ、ラーメンの仕事に限界を感じ始めました。
テレビで連日全国のラーメン店がオンエアされ、ラーメンガイドの編集者が、店に営業にたびたび来るようになって 「広告代をはずめば、トップページでイチ押しのラーメン店として載せてあげる。」なんて、よくある話でした。

でも、仕事である以上、途中でや~めた、なんて出来ない。
好きで始めた仕事が嫌いになるなんて、わがままはいけない、と言い聞かせて頑張りました。

しかし、2年前に、ラーメン界を引退する決意を固めました。
原因は次の機会に・・・
2ae67f9ajpeg私が毎日作っていた、お気に入りのとんこつ醤油、横浜らーめんです。
横浜にある、「ありがた家」で弟が今も毎日頑張っています。


フィリピンでおいしいラーメン屋さんになりたい

私は、1997年に大阪を離れて、かばん一つ持って、横浜にラーメン修行に向かいました。
当時まったくの素人で、誰の紹介も無く、おいしいと思った店で働こう・・
それだけの無謀とも思える決心をしたのは、必ずラーメンは大ブームになると信じていたからです。
業界に飛び込んだのは、間違いでは無かったのですが、やはり苦労や失敗の連続でした。

そんな事を少しずつ思い出しながら、なぜフィリピンでラーメン屋をやりたいのか、ブログでつづって行きたいと思います。
42歳の今、メタボな体型の私は、フィリピンでは タバチン と呼ばれています。
まあ、ようするに、太った子供 みたいな意味です・・・

起業への情熱とか、今までの失敗や楽しい思い出や私の人生を語りながら、日本とフィリピンの友好の架け橋となりたいという壮大な夢を実現するために、ここに足跡を残してて行きたいです。


もう10年ほど前になりますが、フィリピン人の妻と出会い、不思議なフィリピンの魅力にとりつかれたのは・・・
初めてフィリピンに行くことになったときに、お土産は何を買えばいいのかわからずに、彼女に聞きました
彼女 「チョコレート、あと、シーフードヌードル ね。」
私 「??? シーフード? カップヌードルの?」
彼女 「そう フィリピン人 皆大好きダカラ」

そんな安いもので良かったら、買ってあげようと思い、一緒にスーパーに行き、ラーメンコーナーで早速シーフードを見つけて、一つ二つと、スーパーの買い物かごに入れ始めると
「違うよ、バラバラじゃないよ。」 との事

フィリピンの事に詳しい方なら、すでにおわかりですが、バラではなく、箱単位で買うのですね。

案の定、空港に行くと、多くの人がシーフードヌードルを何ケースも持っていました。

この光景は今でも大して変わらず、フィリピン人に愛されているシーフードヌードルは、高級インスタントラーメンとしてその座は揺るぎません。
もちろん、フィリピン国内にも、たくさんのインスタントラーメンがあります。

そして、日本の方が大好きな、日本のラーメンもマニラ・マカティの繁華街に行けば日本料理店で食べられます。
その多くのお店はラーメンだけではなく、刺身やすき焼き、てんぷらにカレーライス、寿司、焼肉などもあり、日本料理が何でも食べられます。
日本で食べるよりも豪華なセットメニューも日本円で1000円も出せばいろいろあります。

私はそういう和食のセットが豪華で大好きなので、何を食べるかいつも大変迷います。
でも、ラーメンにはあまり見向きもしません。

何度かフィリピンで豪華な和食を食べていると感じてきたのが、「ごちそうは、なぜか飽きてしまう」 事でした。

2年前、私は、日本でせっかく開店したラーメン店から引退して、フィリピンでラーメン以外の飲食店を開こうと
考えていました。
ラーメン店は体力的にキツイ事もあって、フィリピンで焼肉店をやりたいと考えていました。

プランを立てるのが好きな私はせっせと、企画を考案してフィリピン行きを実行しました。

それから現在に至る過程は写真や自分の解説も入れながら書いていきたいと思います。

ブログを始める気になったのは、フィリピンでビジネスを展開されている諸先輩方の素敵なブログに刺激を受けた事が大きな理由の一つです。
私を励ましてくれる多くのその先輩ブロガー達に少しでも近づけたらと思っております。

41218f3fjpeg先日 埼玉で花見に行きました。

本当に日本の桜は美しかったです。

私は、思い上がらずに、フィリピンに日本のものを持ち込んで,

歓迎してもらえるかどうかを、よく考えていこうと思います。