Date:2008/05/03 23:03
ラーメン店を切り盛りしながら、私は過酷な生存競争に不安や嫌気を感じて行きました
また、当時出資してくれている他業種の社長とも、うまくいかなくなってきました。
「どんどん人材を育ててどんどん出店しようよ」
イケイケで行きたいのはわかりますが、そんなに簡単には職人は育たないのです。
都心の人件費は高騰し、時給1200円で募集して、1週間後にやっと、
日本語が苦手な台湾人のおばさんが来ました。
仕事は覚えないし、すぐ他の人に変えたかったのですが、忙しい時間帯は文字通り、猫の手も借りたいくらいでしたので、洗い場専属で頑張ってもらいました。
そのころ、駐車違反を厳しく取り締まる法改正がありました。
特に都心は重点地区と言う名目で、路上に監視員という腕章をつけた
おっさんたちが、ぞろぞろとデジカメをぶら下げて歩いています。
5分の駐車で切符切られますから、車の人は路上駐車でラーメン食べるなんて自殺行為になりました。
しかも、都心の飲食店やコンビニなどはお客さんの駐車スペースも無く、
コインパーキングは絶対数が足りないので常に満車で止められません。
ひどいもので、納品に来る仕入れ業者まで、私と話す時間も無くなり、
猛ダッシュで車に戻っていきます。
多くの都心のラーメン店と同じく私のいた店は、駐車場がありません。
そういう場所にばかり出店してきましたのでさすがに堪えました。
近所には、麺屋武蔵・大勝軒・二郎・竈と有名店が多数ありますが、どのお店も駐車場はありません。
路上駐車が良いとは決して思いませんが、運転の仕事をして外食の方は
まず、そういうお店には行けなくなります。
もちろん、広い駐車場のあるところで食べるようになって行きました。
さすがに、売り上げは落ちました。
そのころ、妻の実家であるフィリピンで商売をしたいと考える時間が増えてきました。
日増しに思いは大きくなり、現地調査をして考えてみようと決意して
10何回目のフィリピンに向かいました。
今までは、ほんとに遊びのみの観光ですが、そのときは遊びもせず、
真面目にあちこちを回り、先輩在留者の方々に出会い、
大きな未知の可能性を感じて帰国しました。
しあわせがそこにあるように思えました。 でもいくらあれば、フィリピンでお店が持てるのか?
その頃はまだ、何もわからなかったです。
幸せのトンボが舌を出して笑ってるようでした。
大阪時代に好きだった長渕のとんぼですが、妻がよく替え歌で歌っていました。
空耳アワーに出したいくらいです。
あ~あ しあわせの とんぼが~ ほら~ 舌を出して~ ワラン ペラ (名作だと今でも思います)
とにかく、それからしばらくして、台風が上陸するなんて知らずに、有り金全部持って、店の金も退職金代わりに持って、片道切符のつもりで、マニラに向かいました。
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この記事に対するコメント
無題
奥さまの替え歌最高です!大笑いしてしまいました^^
続き楽しみにしてます^^