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日本での限界 その1

私は自分で言うのも何ですが、独立心が非常に強いです。
これは、マイナス面も大いにあると今さらながら感じています。

人に雇われるのは嫌いだ、小さくても一国一城の主、人生は自分で作るなどと、自分を肯定してきましたが、振り返ると正直、わがままや、身勝手で、失敗を繰り返した、甘かった自分が見えてきます。

42歳の今、サラリーマンに戻ろうにも、私を受け入れて重役の椅子に座らせてくれる会社も無い(当然)
ので、また起業して新たな事業を立ち上げると言う目標に向かって毎日を生きております。

自営を経験すると、もう人の下で働けなくなってしまう。 みたいな話しは随分多くの方に聞きました。
でも、身内はフィリピンでの起業には否定的で、何か日本でできる事を考えてみろと、兄貴にも言われます。

そこで、日本でできる事を考えてみました。

普通に就職しても、私がコネ無しで出世できるだろうか? まず、無理。
ネットワークビジネスで、体に良いものを人に勧めて高収入を・・・・私にはどうかな? 大勢の人の前で商品説明やスピーチなど・・・やめておこう
じゃあ、やっぱり飲食店だな。 ラーメンだな、やっぱり、どう考えても・・

現在、ラーメンは、ブームも落ち着き、一般人も評論家並みの知識を持つようになってしまった。
品川で店を出していた8年前はラーメンブームでした。
学生さんから、じいさんばあさんまで、いろんな質問があったなあ。
自分がいかにラーメン好きで、鋭い舌を持っているのか説明したがるお客が多かったです。

「どこで修行したの?」 「この麺とスープは合ってると思う?」「まあまあだね。もうちょいがんばってね。」
「○○屋より、おいしいと思う?」 「70点だね」


もちろん、知らない人から突然話しかけられるので最初は怒ったり、無視したり平常心でいられない事が多かったです。 未熟で駆け出しの頃は、けっこう喧嘩もしました。

新宿で店を出した4年前くらいから、感じ始めたことがありました。
私が出店したのは激戦区といわれる地域です。
ラーメン店が次々と開店し、最初から行列を作って繁盛しています。
ところが、数ヶ月もしないうちに、その行列は消えて、閑散とした店になっています。

ウチはそんな事にはならずに、割と安定していましたが、他人事とは思えない同業他店の盛衰が気になっていました。
閑散とした他店に食べに行くと、結構おいしかったりします。
繁華街に出店する場合は、おしゃれで、お金を掛けて作った店が多く、宣伝等で最初に大量に集客しますが
私でも、場所が変わると勝手が違い、開店初日から行列を作られると、なかなかいい仕事が出来ません。

でも、大半のお客さんは、そんな言い訳よりも、うまいか、うまくないか、という判断なので、段取りの悪い店の評判は総じて低評価になり、その後客足は遠のき、落ち着いて良い仕事が出来る頃には、経営が苦しくなってきています。

クチコミも、ネットの普及とともに物凄いスピードで全国に広まるようになりました。
当然、悪口も広がり、自称ラーメン評論家のインタビューも何度も受けました。

経験の浅いマニアの多くは、いかに自分が無名店まで食べつくして、その中で有望な新店を発掘して、発表するかが勝負の世界ですので(ナンのコッチャ??)、味以外のことまで、鋭く観察される事もあります。
私が、従業員用に店に無い料理を作って、隅っこで食べさせても 「新メニューの研究ですか?」 「裏メニューですね」 とか、うるさかったりします。
私の弟は大変、良い人間ですが、短気なところがあり、当時はそんなマニアに冷たい態度を取っては、ネットに悪口書かれていました。

その頃から少しずつ、ラーメンの仕事に限界を感じ始めました。
テレビで連日全国のラーメン店がオンエアされ、ラーメンガイドの編集者が、店に営業にたびたび来るようになって 「広告代をはずめば、トップページでイチ押しのラーメン店として載せてあげる。」なんて、よくある話でした。

でも、仕事である以上、途中でや~めた、なんて出来ない。
好きで始めた仕事が嫌いになるなんて、わがままはいけない、と言い聞かせて頑張りました。

しかし、2年前に、ラーメン界を引退する決意を固めました。
原因は次の機会に・・・
2ae67f9ajpeg私が毎日作っていた、お気に入りのとんこつ醤油、横浜らーめんです。
横浜にある、「ありがた家」で弟が今も毎日頑張っています。

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